教えるということ

最近、歌を教える、ということを始めました。
今日で二回目。
教えているのに教えられる、とはよく聞く言葉ですが、本当にそうなんだなーって思います。まだ私も走り出して間もないから、ついこないだ、わけもわからず自分がやってきた道を、他人で再現して初めて「はぁ~なるほど~~先生達こう見えてたからああ言ってたのか~」って(笑)。
ドイツで教わってる先生にはとても厳しい言葉で言われたりしましたが、今から考えると、たった二週間しか制限時間が無く、しかも根本からきちんとカラダを変えなければ!という切実な気持ちからくださった、本当にわたしのことを考えて下さった厳しさだったのだろうなぁと思います。本人が考えている「出来ること」より、先生には「出来ることの可能性」までが見えていて、なんで出来るのにしないの!?って、じれったくなってしまうのだろうなぁ。
「本当に欲しいと思ったことは、常に強く、願い続けなければダメ! そうしたら必ず手に入る。そして、手に入ったら心から感謝して、忘れなさい」
先生から頂いた教え。言われたときは涙が出そうだった。
あー先生に習いに行きたい。

教えるということ” への2件のフィードバック

  1. ん~ 私も「生徒の可能性」については今の先生と話した一番初めのことのひとつ。でも「なんでやらないの!」ってやってくれる先生ばかりじゃない。っていうか「なんでやらないの!」をひきだしたらこっちの勝ちだと思ってる。あ、教わる側として。基本的に教えるがわって出し渋りするのよね@それもわからなくはないけど、教わる側としては知ったこっちゃないわね。

  2. 「なんでやらないの!」ってやってくれる先生ばかりじゃない、よね、本当に。幸せなことに、私は出会えたけど……。
    「なんでやらないの!」と言って色々なことに挑戦させてくれる友達ばかりじゃないんだろうな、世の中。本当に幸せなことに、そういう人達に沢山出会えているのだけど……

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