漬物シリーズ2が終了

大変いろいろなことが起こり、本当に大変でしたが、沢山のお客様にいらしていただいて「漬物2」が終了いたしました。7時半開演で10時半終演(!)と、大変長丁場の舞台でしたが、皆様、本当にお疲れ様でした&有り難うございました。非常に稚拙な所感ではありますが、以下をもって皆様へのご挨拶とさせて頂きたいです。
ブレヒト・ソングについて
わたしは今回、ヴァイル、アイスラー、デッサウのブレヒト・ソングを全部で11曲歌わせて頂きました。ブレヒトの詩によらないヴァイルのソングも含めれば12曲ということになります。
前回の武満徹・谷川雁と同様、ブレヒトもある一定の世代の方にはそれほど遠いものでもなかったようです。と同時に、その受容の仕方にもかなり1つの方向性があったのでしょう、わたしは幾度も「何故ブレヒトソングをドイツ語で? 意味がわからないではないですか」という問いを、実際に突きつけられました。これは、今まで日本で受容されていたブレヒトソングを知らずに最初からベルリナーアンサンブルのCDを与えられてしまった原典主義のわたしにとって、想像以上に数が多く、そして不思議な事態でした。そこで、当日配布した資料冒頭には以下のような文章を載せました。
原語で歌うことの意味はなんだと問われれば、その言葉そのものが持つリズム性、文法的な必然性に回帰することによってしか得られないものがあると答えるほか無い。そして「うた」は言葉から成っている。
詩の時点で既に言葉が持っている旋律というものが、ヨーロッパ言語にはあり、それにメロディをのせるという作業が既に500年も続けられてきました。1つの母音に1つの子音しか無い日本語と、3つの子音を連続して語頭に配置できるドイツ語では、言葉のリズムが全く違うのは明白です。子音の多さによる硬さや厳しさ、リエゾンや発音省略の無さ、最後に大事なことをもってくるあまり字余り感が満載の泥臭さ…usw. それらを全部ひっくるめて、わたしが感じているドイツ語のオイシサ、カワイサ…そういうものを伝えるのには、やはり原語で歌うしかなかったわけです。
ブレヒトは詩人であり、戯曲作家。つまり言葉を道具に使ったアーティストです。やはりその仕事に敬意を払いたい。言葉には意味があり、それを伝えるのが大事だとよく承知した上で、やっぱり「こころ(心)」と「へるつ(Herz)」は違うものだといいたいわけです。言葉には表面的な意味もありますが、その成立過程には文化そのものが大きく関わり、身体的・宗教的・歴史的な意味、暗喩、連想させる別の使用例など、それらの影響が非常に大きいと感じています。1対1で訳すことの出来ないのが言葉であって、だから言葉は面白いということになります。「通訳の仕事、とは、言葉の翻訳ではなくて文化の翻訳だ」――これは現在通訳としてご活躍の方の言ですが、非常に印象深いです。やはりフランス語はアノ発音だから世俗欲まみれなのに洒落たルネサンス曲やシャンソンが花咲いたのだろうし、ミュージカルは英語の発音だから生まれ、イタリア語の発音はロマン派のグランドオペラを生み、日本語は長唄や義太夫節を……と、やはり必然性があるわけです。
それにしても何故ロックを英語で聴くのはフツーなのにブレヒトソングはダメなんでしょう?(笑) ドイツ語はラップも格好いいんですよー。わたしもあんまり知らないんですけど、機会があれば是非是非♪ 今回はお芝居目当てで来るお客様が多かろうと思っていたので、ドイツ語というものが世の中にあるのを知っていただいて、「カッコえーやん」と思って頂けたらええなぁと思って歌いました(笑)。
個人的には、やはり、アイスラーが好きですね。今後もうちょっと歌曲っぽいものも含め、レパートリーを増やしていきたいものです。ヴァイルとアイスラーの違いは、やはり、故国への、諦め切れ無さだと思います。故国は遠くに在りて想うもの、と達観したところがあるヴァイル(結局アメリカで大成功しました)と、そのまま東ドイツへ帰ってブレヒトと仕事を続けたアイスラー。子供の国歌なんか、ホント切ないですよね……アイスラーがアメリカ時代に書いた歌達は、シンプルな中に、根無し草的はかなさと朝時の草露のような透明さが交錯して、非常に透明な悲しさを持っているように思いますし、ドイツ時代に書いたものは生々しい、血と涙というより汗と泣き笑いが混じった、腸がねじれるような切なさがあります。わたしはそんなところに無性に惹かれます。
芝居『例外と原則』について
稽古には、音楽班の都合もあって半分くらいしか出ることが出来ませんでしたが、警察官1と、クーリーの妻役をやらせていただきました。まさか芝居に出して頂く日が来ようとは……。わたしの演技は非常につたないものでしたし、ご迷惑ばかりおかけしたと思いますが、本当に様々なことを教えて頂きました。
まだ経験未熟故になにも言える状態にないのですが、発声・発音などを取っ掛かりに、色々未だに思考作業を繰り返しています。また是非機会があれば、演技ということもきちんと勉強をしたいと思います。
ひとつ心残りだったのは、音楽班の稽古・リハを、芝居班の方々にきちんと見ていただく時間がとれなかったこと。折角のコラボレーションの舞台でしたから、残念です。お芝居が本当に大変だったのは、わたしも現場に入っていたのでよくよく知っていたので、かえって、無理にとは言えなくて、ダメだったな(笑)と思います。こういう大がかりな舞台はとかく本番直前に色々起こってしまうのは承知なのですが……それにしても残念です。
次回があるかどうか、この大がかりなイベントが終わった今は全く何も分からない状態です。ネタはポツポツありますし、声や言葉、音、歌についての考察はまだまだ続けていきたいことではありますが。今回の舞台で自分に必要なことがまた少し見えたので、それをしばらくは頑張って積み上げていきたいと思っています。
どうか面白いネタがあったら、もちかけてみてください(笑)。
おいで下さった皆様、参加くださった皆様、本当に有り難うございました。